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腐率低&懐古オタク仕様・なんでも専用。
クソ銀行(カード会社)がよぅー!

昨年、父が使っていたけどもういらなくなったので解約の連絡をしたはずのETC機能付きのクレカが「更新ありがとうございます!」のお知らせと共に新しいの届いたんだけどなんだこれ。

いやマジでなんだこれ。
最初カード作った銀行に母がわざわざ出向いて行ったら「ウチでは解約できないんですよ〜専門の会社の方に連絡してくださいね〜」とたらい回しにされて、カード会社の電話番号だけメモった紙だけを渡されて帰ってきてて、いやその場で連絡して解約してやってくれてもいいだろ相手は年寄りやぞ??と思いつつも、銀行がそこまでする義理もないのか…と思い直して、メモの番号に電話かけたらとりあえず「はい、解約出来ますので詳細教えてください」と言って貰えたので安心してそのまま手元のカード番号とか言って「手続き進めますね」と言って貰えてたはずなのによ!

(…いや、さすがに銀行で渡されてきた番号なので詐欺にかけた訳ではないはず)

いやいやしかしマジで新しいカードが届いててなんやねんこれ。
マジでなんやねんな…年寄り相手にこんなザルな事務処理したら駄目だろ…


また届いたのが土曜で、連絡先に電話怒鳴ってやろうと思っても週明けまでどうしようもないのなんやねんマジで…数年に1度あるかないかの高速道路走るためだけに作ってそれ以外はずっと年会費しか払ってなかったETC機能付きクレカ、もう…車も無いのに年会費だけかかるのが無駄に鬱陶しいから解約したいって話だったのに…無料なら放置してたわクソが…………


(※くそイライラしています)


まさか、使用停止手続きの電話をして、受付しましたお手持ちのカードは折るか切るかして処分してください、まで言われてたのがこんな事になって、思ったよりもじわじわと腹立っています。お手持ちのクレカ、折って捨ててもう無いわよ!!!

カード会社に電話したのいつ頃だったかこのブログに書いておけばよかった…まさか停止処理されないなんて思ってなかったからメモしなきゃなんて気もなかった。ぬかった。何もかもが信用ならねぇ、ちょっとサボってたけど今後はささいな事でもメモに残していくぞ……ちくしょう………


2023/04/07 PM23:00

母に聞いたら「(書類)昨日届いてたから書いてまた預けるから郵便出しに行ってね」との事でまずはよかったよかった。書き損じしないように頑張って記入してくださいね父…一応本人が書かないといけない書類なんだよなぁ。もう自筆が出来ないような人とかどうやって解約したらいいんだろうねこれ、お金の事だからというのはあるにしても大変すぎる。

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ゆっくりと生命活動を終えていっている

一ヶ月空きましたね。
記録残しておく程の事がなかった、という事なのでよい事ではあるのですが、別に父の体調がよくなったとか認知のボケが戻ってきたとかではないのでただ穏やかに飛ぶように日々が過ぎていっているだけだな、という感じです。

月一の定期健診は大体通院した時に次回の日程が決まるので、事前に有給を取って行き帰りの送迎をする事にしました。正直な話、タクシー往復代よりも私の1日の給料の方が安いので…有給になるなら有難いし、仮に有給使い切ってしまってもタクシー代にもならないならもう休んでしまえ(あまり頻繁になると辞めさせられるかもしれんが…この歳で放り出されるとちょっとキツイわね…)という判断です。
付き添いは1名しか病院内に入れないので、父と付き添いの母を送った後は適当にその辺うろついています。今月は行ける距離にある図書館で本を借りて、駐車場傍の公園で借りた本読みながらコーヒー飲んで時間潰しました。こういう時間もちょっと楽しかったです。コロナ禍での脱マスク~とかもあって、公園にもチビッコ達&お母さんの姿がありました。

そんな感じで父の通院ですが、帯状疱疹も大分マシになったのか、痛い痛い病院連れてけと喚く事はなくなりました。食事中見てると、起き上がったり腕を伸ばしたりの動作の度に「…痛…」と呻いているので完治した、という訳ではなさそうです。
ただ、先月まではやっぱり昼間痛さのあまりに母にあたって暴言吐いたり、殴りかかってきたりをしていたそうなので、体力ある認知ボケした年寄の介護はマジキツイなー、と思います。

それが、今月入ってから「飲食をあまりしなくなった」が始まって。
…昨年秋~冬くらいの間、毎日のように牛乳やジュース、パンや菓子、冷凍食品(たこ焼きとかお好み焼きのすぐ食べられるやつ)を買って置いてあってもすぐ全部食べ尽くしてしまって、母とふたりでキレ散らかしていたのが嘘のようです。

それで、ずっと滾々と眠り続けている状態です。
寝ている姿を見ていると本当におじいちゃんになったなぁ。

夕食も本当に量を食べなくなったし、夜中…多分起きだして少し小腹が空いたのに何かつまみ食いはしているっぽい気配と音は台所からしているけども、せっせと買い置きにしてあるパンや菓子類の減るスピードがぐっと遅くなりました。3か月前には1日で空にしていたスティックパンが一向に消費されずに賞味期限が切れようとしている…

そのくせ、未だにタバコはやめられずにスパスパやってます。
これは母もスパスパやってるので本当にとめられなくて、買い物メモにタバコと書かれている度に「…あぁぁーー!!!!」ってなります。吸うなよ。心不全!

今月、40箱買ったのでタバコ代だけで21.600円です。

(……あぁぁぁぁーーーー!!!!!)

ものを食わなくなって、ただ眠り続けるようになると、生命の終わりが近づいている感じがします。まず食わないと体力が回復しないからね。おかげで父、カリカリの骨ギスです。老人。
これで、母と一緒に春の季節の良い時期だし、近所を歩いて散歩で体力つけていこう~みたいな話にもならないんですよね。母も体力落ちてて歩くの嫌マンなので。

とりあえず今1番気になっているのは、父母が今1日中過ごしている応接間と寝室のクーラーが2台壊れているのと、和室の照明を私が紐千切ってしまって壊してしまったのがまだそのまま放置されている事ですね…「業者に連絡すればすぐ直る」と言ってからもう半年経ちます。早く連絡して直して貰え……クーラーだけはマジで今のうちに……
これも、母がめんどくさがって連絡しないんですよね。金の心配してるんだろうか。いや金も心配だけど(父の通院もあるし)、エアコンなかったら死ぬじゃん?つけたら水がビチャビチャ漏れてくるのはもういつ動かなくなってもおかしくない状態だと思うんだけど、それでも「一応動いてるし暖房も冷房も効いてるから…」みたいなマインドで放置してるんだと思う。

和室は後回しでもいいからエアコンを買い替えして欲しい。心から。
(1日家にいる人がやってくれたらいいじゃん?家にいるんだからさ??)

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おくすりふえたね(2.5mgから5mgに)

父の帯状疱疹の診断出てから丸一ヶ月経過、昨日麻酔科(ペインクリニック)の方に改めて後遺症的痛みをどうしていくか、みたいな方向の診察してもらいに行きました。

朝予約だったのでね~、また行きだけ父母を車に乗せて病院まで送っていきました。妙に朝通勤ラッシュが無くていつもは一時間半くらいかかる道をするっと半分の時間で到着してしまい、まだ表玄関開いてない所に2人を置き去りにするような形になってしまった…そこまで寒い朝じゃなくてよかった…。

で、どうなったか仕事中ソワソワして、ダッシュで帰宅。
なんかね~~特段、ブロック注射とか麻酔とかそういうのは無くて、ただ普通にカロナール錠200と、タリージェ錠が2.5mgから5mgに増量されただけでした。いや倍増なので「だけ」ではないんだが…

医療用医薬品 : タリージェ (タリージェ錠2.5mg 他)
通常、成人には、ミロガバリンとして初期用量1回5mgを1日2回経口投与し、その後1回用量として5mgずつ1週間以上の間隔をあけて漸増し、1回15mgを1日2回経口投与する。なお、年齢、症状により1回10mgから15mgの範囲で適宜増減し、1日2回投与する。
……へぇ…少しずつ増量していく薬なんだ……(MAX15mg)
家帰ってから~夕食終わったくらいまでは、応接間から「痛い…」の父の声が聞こえてきてたんですが、夜中~は久しぶりに珍しく静かだった気がします。少しは効果あったのかな。そんな薬増えた初日でいきなりは効果出ないか。でも効果あって欲しいな。

次はまた丸一ヶ月間を開けて3月の予約診察になります。
落ち着いてきたら、父毎日暇させてるのもよくない(痛いのを思い出すから)んだと思うので前向きにデイサービスに送り出す事を検討してもいいんじゃないかな。その準備がめんどくさいんだけども…運動させた方がいい…要介護2の診断出てるんだし… 後、母がひとりでゆっくり出来る時間を取った方がいい。ここまでくると今度は母を家に独りにさせておくのが心配、という問題が出てくるんだけども。

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ウンコ詰まりの時と訴え方が同じ(妖怪「痛い痛い病院連れてけ」)

記事タイトルどおりです。
足~心臓に水が溜まって心臓の筋肉弱ってた時もウンコ詰まりの時も帯状疱疹の時も、父の訴える事と訴え方が全く同じなので、帯状疱疹は確かに痛いんだろうな…とは思うもののこちらは「またかよ~…!(めんどくせぇな!)」という反応になりがちです。訴え方が同じなのはなんなんだろうな、認知症で語彙力が衰えてるのかな…

数日前には「落ち着いてきてすやすや寝続けるようになりました」とか書いてたんですが、この週末あたりからまた以前ウンコ詰まり時にあった「痛い痛い素人にはわからん専門に診てもらうしかない病院じゃ~!!」…が再発しました。今回は帯状疱疹という「確かにそれは痛いんだよな…」という状態なので、痛い痛い訴えをどこまで聞いてあげるべきなのかがまた判らなくて夜中の5時に母と頭を抱えました。

…朝方の5時頃にですね…久しぶりに電話口で父母の怒鳴りあいが聞こえてきてですね…また父が病院(もしかすると救急車呼ぶ119?)に電話をかけようとしたのを母がガチャギリして「どこに電話かけよるんだ!何時だと思っとるんだ!!」とガンギレ。「痛いんじゃからしょうがないだろうが!お前が電話かけてくれんのだったら自分でかけるしかないんじゃから!」とあーあーあーあー

…夜中にガチャギリした電話先、ごめんな…
(結局どこに電話をかけてしまっていたのかはわからない)

「これだけ痛いと言ってるのにお前らは何もしてくれない」
「これだけ痛いのに何もせずに大人しく寝とれっていうんか」
「こんだけ痛い目にお前もなってみたらいい」
「お前がこんなになっても病院に連れていってやらへんぞ」

父が母に殴りにかかった所で背後から腕掴んで止めました。
ストップストップ。
全く最悪な年寄になってしまいおって。

……いやホントに最悪な年寄になったな…人生の最後の最後で……


まぁ、それだけ痛さで追い詰められているというのもあるんだろうとは思うんですが、これ帯状疱疹今の所処方された薬は母が飲ませているのできちんと飲んでるし、夜寝る時に痛くてつらい時の分に多めに貰ってきたのも飲んでるんですけどもずっと痛い痛いは言い続けていて。薬飲み始めて数日は落ち着いてたのがどんどん効き目が薄くなってきたのかまた夜中も寝ずに痛い痛い喚くようになって。そして母がガンギレして。

初動が遅れたんですよね…帯状疱疹に気づくのが遅れてしまって。

1/22に病院で帯状疱疹の診断が出たんですけど
1/20の時点で既に腹~背中に発疹が出てたんですよね。この日、病院に行ってたんですけどただの問診だけで終わって服めくって触診とかもなく(どこか具合悪い所ないですか?と聞かれて「いや、別に…」とか、また「なんのために病院来たんだよ」みたいな受け答えしかしなかったらしい…父よ…マジで…)終わったため、発疹に誰も気づけなかったんですよ。運悪く粗相で全身丸着替えする事もこの数日なく、母も父の腹を見る機会がなかったんだそうです。(父が家族にも医者にも自己申告しなかったんだから父以外の誰も悪くなくない…?後から「発疹が出ててここ数日ずっと痛かったんじゃ…」とか言われてもさぁ)

んで、1/19くらいから「またお腹痛い…(ぴえん)」が始まっていたので、そこくらいから帯状疱疹ウイルスにやられ始めていた可能性が高いように思います。発疹より先に痛みが来るらしいので。

帯状疱疹、とにかく「初動が大事」「発疹が出てると思ったら即皮膚科へ」というくらいで、最初の3日が大事らしいんですよ。Google調べですけど。そしたら、もう完全に出遅れてるんですよね。抗ウイルス薬を初期にガンガン飲んでウイルスを叩くと後遺症もなく終われるらしいんですが、これを長引かせてしまうと発疹が消えても痛みだけは何か月~何年も残ってしまう「帯状疱疹後神経痛(PHN)」というヤツになってしまうんですって。怖い。

帯状疱疹|さぎのみや皮膚科クリニック
治療の基本は、病態の原因となっているVZVの増殖を抑えるための抗ウイルス薬の全身投与です。内服薬と注射薬があり、皮膚症状が重い場合や痛みが強い場合は入院して点滴治療を行うこともあります。理想的には皮疹出現後3日以内に開始することが望ましいとされています。

皮膚症状に関しては一般的には2週間~1ヶ月程度で治癒します。
次に痛みですが、こちらも適切な治療をされた場合はゆっくりと軽快してきますが、しばらく持続することもよくみられます。そして、1ヶ月くらいでほとんど気にならない状態になれば心配はいらないのですが、2ヶ月たっても3ヶ月たっても痛みが続くことがあります。しかも痛みの性状が少し変わってきて、いわゆる帯状疱疹後神経痛というものに移行していきます。
なにがキツイって、現状こんなに毎晩毎日「痛い痛いお前らにはこの痛みがわからんのだお前らが同じようになってもワシはなんもしてやらんぞ」と言われているのが、後遺症で何か月~何年も続いてしまう可能性があるという事なんですよ。


きっちり治ってほしい~!
マジでどうにか後遺症無く終わって欲しい~!!
なんだかんだ言って、診断出た1/22から数えてもう22日…1/20からだと24日経ってるんだよな…そろそろ落ち着いてきてもおかしくないはずなんだけど。発疹も、痛みも。


とりあえず、予約がないので朝イチに病院に電話してみて「来てみてください」という話になったらまたタクシーで病院に行くか、…という方向で話がまとまりつつある所で私は出勤時間だったので家を出ました。母だけに託すのキツイ。
母が朝イチ病院に電話してみても週明けなので全然繋がらない様子だったのが気になったので、職場に着いてからこそっと家に電話をかけてみたら、やっぱりまだ病院に電話が繋がらないので「昼にまたかけてみようと思っている」という母の返事。
そこで、「父もいつものアレで昼間になると落ち着くはずだから午後に病院に電話かけてみて上手く繋がって「来てください」の流れになったらまたタクシーになるけど診てもらっておこう。帯状疱疹はやっぱり気になるし後遺症になったらもっとつらいし。で、午後から診察だったら時間的に私の仕事が終わって帰りは迎えに行けると思うので…」と、自分が考えられる最善の方法を話してみました。母も納得してくれたので、あとは…病院に電話が繋がるのがいつ頃になるかだな…(気になるけど現在仕事中なんじゃよ)(母…がんばれ…)


2023/02/13 PM20:00

行ってなかった!行ってなかったよ!!
(だと思った!今日雨降ってたもんな出かけるの億劫なの判る)
「昼に電話しても『現在この番号は繋がりません』て言う番号ばかりで病院のどこの科にかけても駄目だった」って母は言うんですけど、病院でそんな事ある…?職場から帰る前にスマホから家に電話かけて繋がったので、家の回線がおかしい訳ではないんだけども。

……行ってなかったか〜…
家に帰ったら、案の定痛い痛いと訴えて寒い廊下をウロウロ徘徊する父がいました。可哀想。…可哀想なんだけど、どうしたらいいのか本当にわからんので…病院次回予約がもう完全に対帯状疱疹後神経痛(PHN)向けで麻酔科の予約なんだよな…抗ウイルス薬飲んで回復する時期はとっくに過ぎてしまったという事なんだろうか…。既に後遺症決定の扱いなので、ぶっちゃけその予約当日までの間に出来る治療が今もらってる薬を飲んで大人しくしてるしかない。のよな。

処方されてる薬もさっき見せて貰ったんですけど、痛み止めのカロナール錠200と、帯状疱疹後神経痛用のタリージェ錠2.5mgってやつでした。結構最近出たばっかりの薬みたい。

疼痛治療剤「タリージェ®錠」新発売のお知らせ - プレスリリース - 報道関係者の皆さま - 第一三共株式会社(2019年04月15日)

最初の一週間はアメナリーフっていう帯状疱疹抗ウイルス薬を処方してくれてたみたいなんだけど、飲み切って直ぐの通院で多分「良くなってる感じがしない」って言ってそこからもうタリージェに切り替わったみたい。病院では薬ちゃんと出してくれてるもんな…当たり前だけど…(さっきおくすり手帳盗み見してきた)


2023/02/18 PM16:30

17日金曜の夜、仕事から帰ったら、玄関先で電話の前で座り込んで「病院…行くんじゃ…」みたいな風情の父がいました。ウンコ詰まりの時に見た光景。母曰く、昼間もずっとこの調子で、痛い痛いと喚きながら、電話の前に椅子腰掛けて、でももう自分で電話をかける事が出来なくて、ただずっとそこに座ったまま「痛い…痛い…」と言い続けているらしく、もうどうしたらいいんだろうな?という。処方されてるカロナールはきっちり飲み切っていってるんですが体質に合わないとかあまり効かないんだろうか。(でも飲んでから1時間〜くらいすると静かになって寝てしまうので、全く効いてない訳でもなさそうなんだけども)

で、土曜も昼間からまた寒いのに玄関の電話口で腰掛けて「病院…」と言い続けて多分もう2時間くらい経つんですが、もう、そうやっている事で気が紛れるなら言わせとけやらせとけ、という気持ちにもなってきました。帯状疱疹後神経痛、散歩とか趣味とかで「気を紛らわせて痛みに意識が向かないように工夫してみましょう」とか製薬会社サイトに書いてあるので…マジで特効治療がない症状なんだな……。


2023/02/18 PM17:00

「病院電話してくれ〜」と父が部屋に突入してきたので、宥めながら「来週明けペインクリニックに専門治療して貰うための診察予約をしてあるのでそれまで頑張れ」…と説得して背中から毛布に包んで応接間の炬燵に押し込んできました。いや、診察予約は本当なんですが、専門医でどうにか改善してくれないと打つ手がなくなるので月曜に好転するのを信じてる。マジで。

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すっかりおじいちゃんになってしまった

また以前みたいに腹痛い…!と夜中に喚くようになった(介護認定結果来てた)→帯状疱疹だった!(2023/01/21)

あれからしばらくここに記録残すの忘れてた、というか残すのめんどくさくてサボってたんですが、また体調急変した時のために色々振り絞って残しにきました。

帯状疱疹の診断でてから、週一で前入院してた方の遠い病院に通っているんですが、予約時間が微妙なために行きも帰りも私が車を出せず往復タクシーを使う事になってしまい病院の方からも「わざわざこんな遠い病院まですみません…近場に皮膚科があればそちらでも対応可能だと思うんですけども…」とか言われてしまう感じです。そうよね。
私が通ってる皮膚科に変えればいいじゃん、とも思うんですが父の場合他にも色々なんかあるので安心を金で買う、みたいな事になっています。いう程買えてない気もするけど安心。

帯状疱疹、大分痛いらしくて最初に貰った薬はほとんど効かず痛みも抑えられず、しばらく喚き倒しておりました父。余りに喚き散らしが限界に達して、勢いで母に「お前がなんかあった時覚えとれよ!なんぼ痛い痛い言うたって病院に連れていってやったりせーへんからな!!」まで言い放っておりましたが、案の定翌日には「えぇ…わし、そんな事言うたん…?」とか言うてました。認知症認知症認知症!と腹の中で唱えて飲み込みましたが、老後に夫婦中が壊れる事がよくあるのはこういうヤツの積み重ねなんだろうなー…と思いました。ついでに「結婚しなくてホントよかった…」とも思いました。

親戚連中に対してそう思う、という話は昔ここに書き残しましたが、まさか己の父母を見てもそう思うようになるとは思っていませんでした。なんだかんだいって血は争えませんね、悲しい話ですが。(そしてその血は私にも流れているのだ…)

1度目の効き目が感じられない薬から、違う薬に変えて貰ってからそちらは比較的効くのか大人しくなりました。よかったです。それまでガバガバ飲んでたインスタントコーヒーを、ぱたっと飲まなくなりました。カルピスは今も飲んでるかな…また水分自体をあまり飲まなくなってきているので気を付けないとまたウンコ詰まるな、と注意しています。
コーヒー飲まなくなったとほぼ同時に、食べる方もぱたっと止まりました。目が覚めたら台所にふらふら行って、置いてあるパンとか菓子とかをちまちまつまみ食いし続けていたのがウソのようになくなり、買いこんである菓子の減りが止まりました。まぁそれは…いいかな…ご飯の方をちゃんと食べていればその方がよさそうだし。ただ、3食のごはんの方も量が減りました。

で、どうしてるかというと、寝ています。
「眠れる」という事は「痛みで眠れない」という事はなくなったという事なのでよいとして、寝るか、ご飯食べるか、尿意で起きてトイレに行くか、母に悪態をつくか。みたいな感じだそうです。この中で「寝る」の比重がすごいでかくなって「…こんなに寝てるの大丈夫なのかしら…?」と母がちょっと零すくらい昼夜寝てるらしい。昼寝たら夜寝られなくて深夜動き回ってうるさい、とかあった数か月前ですが、今は昼めちゃめちゃ寝てるのに夜もくーくー寝てるので、以前の夜中に怒鳴りあいをするみたいな事はなくなったのでそれもまぁ、よいです。

…もしかしたら、処方された薬の中に、ちょっと強めの睡眠薬が入ってるのかもしれないな…という気もします。(以前、病院で深夜徘徊で困ってると相談した時に1度強めの睡眠薬を処方されて飲ませたら「死んだかと思った」と母が言うくらい滾々と寝てしまって怖くなったので軽めのヤツに戻して貰った経緯がある)(軽い方は結局全然効かなかった…)

ずっと応接間で父と一緒にいる母曰く、

「昨日の事はもう今日全く覚えていない」
「昼も夜もずっと寝ててちょっと怖い」
「介護2というのはこういう事なのか、と今更実感出てきた。3になったら本当にいよいよヤバイんだな(何も判らなくなって一人で何も出来なくなる、という意味)」

という状態で、父の顔を改めてまじまじと見ると、もう本当に「おじいちゃん」になってしまったなぁ…と。ちっちゃく縮んじゃって、歯が無くて表情がくちゃっとなってて、筋肉も贅肉も削げ落ちてしまった体で歩くとノロノロ遅くて背中が丸まってがに股で、お、おじいちゃんの動き~~!という。

半年前(いきなり「免許センターに車を取りに行く!」と言い出す前)までは、こんな状態じゃなかったのになぁ、人間半年でここまで見た目が老いるんだなぁ、…と思いました。


「夜中起きずに滾々と寝てる」って上で書きましたが、さっき台所で母と話したら「起きてるよ!丁度夜中3時くらいに毎日トイレで目が覚めてから直ぐに寝ないでグダグダ炬燵で話してくるのを毎日聞いてるよ!2時間くらい寝ないから毎日睡眠不足だよ!!」との事でした。ごめん…

昼間も
「痛いんじゃ〜もう救急車で病院行くしかない〜」
「予約の日までこうして毎日痛いのを我慢しとけって言うんか〜」
……とうるさいらしい。なんだ、変わって無いじゃん…(そこは変わってて欲しかった…)

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田舎在住、旧時代のオタク。
コロナでアクティブオタクを続けていく事を半ば諦めかけていた所に、遂に家族の介護イベント発生。生き残りたい。
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