下から続くエントリです。また勢いで打ってます。
内容的にはあまり接点はありませんが、芋蔓でちょっとだけ。
私には同人友達がいません。
ゼロではないのですが、現在繋がりの残っている数少ない友達は皆ジャンルが異なり、同人を離れた場所や関係で繋がっている間柄ばかりです。
元々、同人友達を作るのは苦手でした。
黙って活動をしていれば向こうから接近してきてくれるような、魅力的な作品を描く才能などありません。そのくせ自分から積極的に行動を起こす事は全くありません。今もそうです。
新しいジャンルやカップリングにはまって同人活動を始める時など、新しい交友関係を築くよいチャンスなのですが、自分から行動をしないので増えるはずもないのです。
気づけば周囲に幾つもの交流コロニーが生まれ、それぞれで私信を飛ばしあい、イベント後のアフターやオフ会のレポートなどがサイトに掲載され、合同誌が何冊も作られているのですが、どこにも入れない。
入ろうとしない自分がいけないのは判っているのですが。
実際交流コロニーを遠くから眺めていて「楽しそうだな羨ましいな」と本当に思うのですが、それ以上に「面倒くさい」という感情が大きく占めてしまうのです。
同ジャンル同カップリングを好きな作家同士が交流を持つと、どうしても自分達の好きなジャンル・カップリングの話をし合う事になります。ジャンル感やカップリング感の似ている相手ならいいのですが、同カプだからといって嗜好も似ているとは限らないのですよね。
なまじ「同ジャンル同カップリングが好き」な同士だからこそ、その嗜好の違いが気に入らなくて、むしろ嫌悪にまでなって交流に支障が出るのが嫌なのです。既に何度も経験済みなので。
自分が同人活動しているカップリングの同人誌は基本読めません。
自分の嗜好との差異が気になって仕方がないから。
「私の好きなこのキャラを、カプを、こんな解釈で愛で萌えるなんて納得いかない!」と勝手にイライラしてしまうのです。(勿論、同じ事を自分の本を読んだ人に思われる可能性がある事を踏まえた上でのイライラですが)
むしろネタ被りしちゃってるよ!の方がマシです。「あ、この人もココで萌えたんだ!」と共感出来るから。
作品を描く事以外で自分の嗜好を相手に理解して貰おうなんて、体力のいる事面倒でやりたくありません。逆に自分の興味のない嗜好を聞かされて賛同を求められたりするのも面倒ですし、「いや私は興味ないから」と否定するのも体力がいるので面倒なのです。
ジャンルやカプに対する萌えアプローチが交流コロニー内で足並み揃ってしまうのも嫌だし、原作に対する信仰レベルは自分で決めたいのです。(例えば…交流グループ内で仮に受け女体化が流行ると、そのグループに属する作家全員が突然受け女体を描き始める…みたいな。そういうのがもう本当にガッカリしちゃうのです。え、それ私もやらないといけませんか?みたいな)
原作を、キャラを、カップリングを、愛する行為は独りで育みたい。
その育んで生まれてしまった業の深い「二次創作物」が、私の原作に、キャラに、カップリングに対する思いの丈のすべて。
勿論身勝手で、一方的で、無責任で、暴力にも近い行為だから、ほとんどの人からは拒絶されいらないもの扱いされてしまう思いだと思う。
ただ、それを読んで「わかるよ」「私もそう思うよ」と1ミクロンでも思ってくれた人がいたならそれで満足できるのです。
語り合える友達はいらない。
でも知り合いや顔見知りは必要なのが同人世界の世知辛さ。ここら辺は一般社会と同じですよねー…。
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【補足】
後、個人的に思うのは、交流コロニー内だけで萌えを語り合ってしまうと、作品にする事が出来なくなって勿体ないんです。(これはなりちゃのエントリにも書きましたが)
その場にいる人だけに美味しい萌えシチュエーションを語って無駄に消費してしまうよりも、作品として形にしてどこかにいるかもしれない、私と嗜好が限りなく似ている不特定多数の人に見て貰いたい。のです。
内容的にはあまり接点はありませんが、芋蔓でちょっとだけ。
私には同人友達がいません。
ゼロではないのですが、現在繋がりの残っている数少ない友達は皆ジャンルが異なり、同人を離れた場所や関係で繋がっている間柄ばかりです。
元々、同人友達を作るのは苦手でした。
黙って活動をしていれば向こうから接近してきてくれるような、魅力的な作品を描く才能などありません。そのくせ自分から積極的に行動を起こす事は全くありません。今もそうです。
新しいジャンルやカップリングにはまって同人活動を始める時など、新しい交友関係を築くよいチャンスなのですが、自分から行動をしないので増えるはずもないのです。
気づけば周囲に幾つもの交流コロニーが生まれ、それぞれで私信を飛ばしあい、イベント後のアフターやオフ会のレポートなどがサイトに掲載され、合同誌が何冊も作られているのですが、どこにも入れない。
入ろうとしない自分がいけないのは判っているのですが。
実際交流コロニーを遠くから眺めていて「楽しそうだな羨ましいな」と本当に思うのですが、それ以上に「面倒くさい」という感情が大きく占めてしまうのです。
同ジャンル同カップリングを好きな作家同士が交流を持つと、どうしても自分達の好きなジャンル・カップリングの話をし合う事になります。ジャンル感やカップリング感の似ている相手ならいいのですが、同カプだからといって嗜好も似ているとは限らないのですよね。
なまじ「同ジャンル同カップリングが好き」な同士だからこそ、その嗜好の違いが気に入らなくて、むしろ嫌悪にまでなって交流に支障が出るのが嫌なのです。既に何度も経験済みなので。
自分が同人活動しているカップリングの同人誌は基本読めません。
自分の嗜好との差異が気になって仕方がないから。
「私の好きなこのキャラを、カプを、こんな解釈で愛で萌えるなんて納得いかない!」と勝手にイライラしてしまうのです。(勿論、同じ事を自分の本を読んだ人に思われる可能性がある事を踏まえた上でのイライラですが)
むしろネタ被りしちゃってるよ!の方がマシです。「あ、この人もココで萌えたんだ!」と共感出来るから。
作品を描く事以外で自分の嗜好を相手に理解して貰おうなんて、体力のいる事面倒でやりたくありません。逆に自分の興味のない嗜好を聞かされて賛同を求められたりするのも面倒ですし、「いや私は興味ないから」と否定するのも体力がいるので面倒なのです。
ジャンルやカプに対する萌えアプローチが交流コロニー内で足並み揃ってしまうのも嫌だし、原作に対する信仰レベルは自分で決めたいのです。(例えば…交流グループ内で仮に受け女体化が流行ると、そのグループに属する作家全員が突然受け女体を描き始める…みたいな。そういうのがもう本当にガッカリしちゃうのです。え、それ私もやらないといけませんか?みたいな)
原作を、キャラを、カップリングを、愛する行為は独りで育みたい。
その育んで生まれてしまった業の深い「二次創作物」が、私の原作に、キャラに、カップリングに対する思いの丈のすべて。
勿論身勝手で、一方的で、無責任で、暴力にも近い行為だから、ほとんどの人からは拒絶されいらないもの扱いされてしまう思いだと思う。
ただ、それを読んで「わかるよ」「私もそう思うよ」と1ミクロンでも思ってくれた人がいたならそれで満足できるのです。
語り合える友達はいらない。
でも知り合いや顔見知りは必要なのが同人世界の世知辛さ。ここら辺は一般社会と同じですよねー…。
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【補足】
後、個人的に思うのは、交流コロニー内だけで萌えを語り合ってしまうと、作品にする事が出来なくなって勿体ないんです。(これはなりちゃのエントリにも書きましたが)
その場にいる人だけに美味しい萌えシチュエーションを語って無駄に消費してしまうよりも、作品として形にしてどこかにいるかもしれない、私と嗜好が限りなく似ている不特定多数の人に見て貰いたい。のです。
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